スタッフブログ

2025.03.04

地鎮祭

おはようございます!

最近少し暖かくなってきたので、早朝ランを再開した中桐です。(#いや、散歩か…)

もう3月ですね。この調子だとあっという間に2025年も終わってしまいます。巻いていきます(笑)

さて、3日ひな祭りの昨日(大安)は地鎮祭でした。K様おめでとうございます!

一緒に素敵な暮らしを実現しましょう!

ここで改めて地鎮祭について振り返っておこうかと思います。

おそらく多くの方が施主として経験するのは一度だけかと思われるこの儀式。

とはいえ、地鎮祭とは?で検索すれば情報はWEB上に出きっていて、ここで同じような内容をリピートしても面白くないので、少し違う角度から考えてみようと思います。これから家づくり始められる方は別の視点として参考になるかも。

ちょっと変わった感じで進めるので賛否あるかもしれませんが、ご容赦ください(笑)

最近では地鎮祭をされない所もあると聞いたりします。

ということで、テーマは地鎮祭は結局、誰のため?

今回はそんな視点で少し考えてみたいと思います!

 

地鎮祭って結局、誰のため?何のため?

ここで登場人物として「施主」、「工事関係者」、「近隣の方々」という3種の立場から考えてみます。

地鎮祭=家を建てる前に行う儀式と聞くと、なんだか特別な感じがしますね。

でもよく考えてみたら地鎮祭は「位置について、よーい」の状態。

つまり気持ちを整える意味があるのではないか?例えば、

・施主:打ち合わせを経て「いよいよ始まる」という気持ちになる。

・工事関係者:「次に入る現場」という意識になる。

・近隣の方々:「あそこでこれから工事が始まるんだ」と認識する。(#もちろんご挨拶に伺います)

神様にお祈りすると同時に、実は家づくりに関わる地域の方も含めた全員の気持ちを揃える。

という意味が強いのではないか?そんな仮説を立ててみました。そこで、if-もしも-を考えてみます。

 

もし、地鎮祭がなかったら…?

・施主「流れで始まっちゃったけど、なんか物足りない。いいとは言ったものの…。」

・工事関係者「えっ、始めていいんだよね…、みたいな確認をとりたくなる。」

近隣の方々:「普通やるものじゃないの?なんかこの業者色々心配かも…」

等々、なんとなく物事が始まる区切りがないので、バタバタと慌ただしい感想を抱くかもしれません。

地鎮祭があることで、「よし、ここからスタートだ!」 と、みんなに区切りがつく。

そんな効果があるのでは!ということで、地鎮祭とは誰の為?何の為かというと実は、

 

みんなのためであり、みんなの気持ちを揃えるため 

=家づくりにおける「チームビルディング」だった!

今回はそんな結論に至りました。あくまで個人的な仮説です。

地鎮祭をすることで、施主・工事関係者・近隣の方々がスムーズにつながる。

家づくりは当然一人ではできませんし、いろんな人が関わるからこそ、この最初の「共通認識を持つ場」としての存在意義は大きいのではないか。もちろん大前提として土地の神様に「これからここに家を建てます。どうか見守ってください。」とお願いする意味はありますが、地鎮祭をするかどうか迷った時は、なんか地鎮祭をした方がみんながスムーズにいくらしいよ→じゃあした方がいいよね。という一択なのでは。(#実はものすごく実用的な儀式なのかもしれません)

くどいようですが、あくまで個人的な仮説です(笑)

この儀式、日本特有のもので、諸外国には基本的にはありません。(#近しいものがあったりはしますが)

とにかくおめでたい儀式ですので、何度も経験していますが私は良い習慣だと思っていますし弊社は必ず行っています!

改めましてK様、おめでとうございます。末永くよろしくお願い致します。

今日はそんな地鎮祭のお話でした。では、素敵な一日を!